ZBC#57 [終わりなき闘いの歴史] - がん 4000年の歴史

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課題図書

今回は2017年8月19日に開催されたZenport Book Club #57の図書の中からがん 4000年の歴史をご紹介致します。

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

数千年に及ぶ人類の文明の歴史。その過程で、私達は多くの病気を克服してきました。

ペスト、コレラ結核

かつて多くの人々を死に至らしめたこれらの病も、ついぞ医学の前に白旗を挙げたのです。

しかし今尚、人類を苦しめ続けるある怪物が、私達の前に鎮座しています。

その名はがん

古代エジプトの時代から存在が確認されていたこの病は、未だに解決の糸口を見せていません。

このがんに対して、人類はどう対峙してきたのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • がんは古代エジプトの時代からその存在は知られていたが、初めてそれに名前が与えられたのは古代ギリシャ時代、医聖ヒポクラテスによってであった。

  • がんは長らく体液の異常により起こるものだと考えられていた。がんの正体が明らかになったのは20世紀という実に最近のことである。その正体は、遺伝子の突然変異の蓄積であった。

  • 医学の歴史の中で、がんに対する多くの治療法が開発された。ウィリアム・ハルステッドはメスを用いた施術を生み出した。また、シドニー・ファーバーは化学療法を生み出した。

  • がんに対する予防方法も考えられた。その第一が禁煙であった。喫煙とガン発生の間に有意な相関が見られていたからだ。しかし、禁煙の動きを広めるには、タバコ業界という既得権益との戦いが待ち受けていた。

  • がんの歴史とは、それに立ち向かった医師の歴史だけではない。この叙事詩の本当の主役は、がんとの戦いの最前線に望んだ患者たちだった。彼らの勇気によって、人類はがんに対する武器を手に入れることができた。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

がんに挑む人類の歴史は、科学革命の構造で説かれた進化の形そのものだ。進歩派と守旧派の間で起こる混乱、それを経たパラダイム変換。がんの歴史とは、科学の歴史、ひいては人類の歴史の写し絵であることがよく分かる。


なぜがんというモノは生まれたのか。生命というものは、互いに系内では対立しながらも、系としては平衡を保ってきた。しかしがんの存在はその原則から逸脱する。そのような存在を、なぜ生命は生み出したのか。数の暴走をとめるための自己保存機構なのだろうか。この辺については折を見て研究してみたい

まとめ

今回は、がんの歴史を描いたがん 4000年の歴史を取り上げました。

次回はZBC#58で発表された紙の世界史をご紹介します。

Zenport Book Club #57:その他の発表図書、関連図書

The Gene: An Intimate History

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死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

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ゲノムが語る23の物語

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科学革命の構造

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ZBC#56 [康熙帝以来の名君] - 現代中国の父 鄧小平

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課題図書

今回は2017年8月12日に開催されたZenport Book Club #56の図書の中から現代中国の父 鄧小平をご紹介致します。

現代中国の父 トウ小平(上)

現代中国の父 トウ小平(上)

文革以降、中国の最高指導者として国を率いた鄧小平は次の言葉を残しています。

不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫 (白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である)

この言葉は、イデオロギーではなく、経済発展を優先した彼の考えを端的に表しています。

現代中国、その急激な経済成長は、彼がいなければ無かったと言っても過言ではありません。

その点において、彼は現代中国の父と言っても良いでしょう。

そんな彼の人生とはどのようなものだったのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • 鄧小平は清の時代であった1904年、四川省に生まれた。彼は16歳のときフランス留学に出て、その地で中国共産党に入党する。その後モスクワを経て帰国し、毛沢東の下でゲリラ活動を開始する。彼はその後、中華人民共和国設立、大躍進政策に至るまで、毛沢東の忠臣として活躍する。

  • 大躍進政策後、毛沢東との対立が深まった鄧小平は、文革時に苦杯をなめる。劉少奇と共に走資派の重要人物として毛沢東サイドから批判された彼は、江西省南昌に追放される。またこの時、鄧とその家族は、紅衛兵から執拗な自己批判を迫られる。その結果、息子である鄧樸方は下半身不随となる。その点において、文革は彼にとって、決して心穏やかとは言えない経験だった。しかし文革後、周恩来の手助けもあり、彼は党内での名誉回復に成功する

  • 文革の終焉、更に毛沢東が没した中国において、彼は華国鋒を退け最高指導者の地位に就く。名実共に中国のトップに立った彼は、中国国民を豊かにさせることが国家の最重要事項であるとの考えに至る。そのため、共産主義というイデオロギーを建前上は維持しつつ、改革開放、市場経済の導入を進めた。この指針が功を奏し、中国は1980年代以降、急激な経済成長を達成することになる。

  • 一方、彼の実績として後世の評価が定まらないのが、六四天安門事件に対する対応である。彼は民主化を求め天安門広場に集まった群衆に対し、武力弾圧に踏み切った。彼は、今の中国には中央で権力を行使し成長を牽引する共産党の存在が必要であり、民主化に踏み切れば、中国はまた混乱に陥ると考えていた。自由と繁栄を天秤にかけた際、彼は迷わず国民の繁栄を選択したのだ。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

鄧小平は、中国の歴史上、国家への貢献という点で言えば、名君と誉れ高い唐の太宗、清の康熙帝に匹敵する。しかも彼らと同じように、王朝の始祖では無いという部分も共通する。国家という枠組みでは、組織の繁栄を担うのは始祖とは限らないということは面白い事象である。


鄧小平のリーダーの資質の一つとして、解くべき本質的な問題を見定める能力が挙げられる。リーダーとは常に様々な環境の変化にさらされる。また同時に、多くの重要らしき問題の誘惑を受ける。しかしリーダーが為すべきことは、解くべき問題を精査し、その解決のみに組織のリソースを使うことである。鄧小平にとっての問題とは、いかに国民を豊かにさせるかであった。彼の行動の一つ一つには、リーダーの要諦が詰まっている。


革命と創業というのは、似て非なるものである。革命の先の、創業のビジョンが無いばかりに、その後に混乱だけが残ることは多々ある。アラブの春などはその典型だ。その点において、鄧小平を指導者として抱けたことは、中国の幸いと言っていい。またこれは、日本にとっても同じことが言える。直近で起こった日本での革命といえば、明治維新、さらに遡ると徳川家康による封建制の確立が挙げられる。そのどちらも、大久保利通等の元勲、徳川家康という、創業のビジョンある指導者を抱けたからこそ、後の発展があった。創業のビジョンある革命家の抱き方、これは引き続き1つの考察テーマとしたい。 余談だが、戦国時代において天下統一後のビジョンがあった大名は織田信長徳川家康だけだったと言われている。その点で言うと、偶然か必然かは分からないが、徳川家康に統一された日本は幸せだったと言える。


本書では鄧小平以外にも、毛沢東を筆頭に数々の現代中国の権力者等の姿が描かれている。その中でも、私に一番の魅力を感じさせたのは周恩来だ。彼の誠実さ、知性、包容力には尊敬を禁じ得ない。彼の姿は、太宗が貞観政要に著した君主の姿に忠実に沿う。リーダーとしてかくあらねばと思わされる次第である。 余談だが、現在中国の総理を務める李克強の姿も、周恩来のそれに重なる。また共に最高指導者ではなくNo2であることも似ている。太宗的リーダーをトップではなく、No2に置くというのが現代中国の組織体制の潮流なのかもしれない。

まとめ

今回は、鄧小平の半生を描いた現代中国の父 鄧小平を取り上げました。

次回はZBC#57で発表されたがん 4000年の歴史をご紹介します。

Zenport Book Club #56:その他の発表図書、関連図書

毛沢東の大飢饉  史上最も悲惨で破壊的な人災 1958?1962

毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958?1962

周恩来秘録〈上〉―党機密文書は語る (文春文庫)

周恩来秘録〈上〉―党機密文書は語る (文春文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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ZBC#55 [ビリオンダラー・スパイ] - 最高機密エージェント

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課題図書

今回は2017年8月5日に開催されたZenport Book Club #55の図書の中から最高機密エージェントをご紹介致します。

最高機密エージェント: CIAモスクワ諜報戦

最高機密エージェント: CIAモスクワ諜報戦

策謀、密告、裏切り。

東西で情報戦が繰り広げられた1980年代のモスクワの地で、自分の信念に従い、スパイの道を歩んだ者がいました。

その名はトルカチェフ、通称「ビリオンダラー・スパイ」と呼ばれたCIAのスパイです。

CIAに情報を提供し続けた彼の素顔とはどんなものだったのでしょうか?

そして彼を突き動かした信念とは何だったのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • 1980年代の冷戦時、ソ連の最高機密をアメリカCIAに提供し続けた男がいた。その名はアドルフ・トルカチェフ、通称「ビリオンダラー・スパイ」と呼ばれた人物である。

  • トルカチェフはソ連の軍用レーダーに関わる研究所のエンジニアであり、内部の情報にアクセスする権利を得ていた。彼はこれらの情報を、KGBに見つからないように細心の注意を払って、米国のCIAに提供し続けた。

  • トルカチェフがスパイになった理由、それは体制への反発だった。1974年のソルジェニーツィンの国外追放などが、彼の祖国に対する忠誠を損なわせた。これが契機となり、彼は自らスパイとなり、CIAと接触した。

  • アメリカに最高機密を提供し続けた彼であったが、1985年に終わりの時を迎える。CIAの担当者との会合をKGBに逮捕されてしまう。この逮捕を裏で導いた者もまた、CIA内部に潜り込んでいたスパイであった。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

パンに満ちた世界における、人の行動原理とは何なのか。CIA職員が愛国心のもとに身の危険をおかす一方、トルカチェフは愛国心の枷を外し、自らの信念のために危険を冒した。行動原理についてはマズロー欲求5段階説が有名だが、私にはこの枠にとらわれない別の行動原理が、人間にはあるように思える。


誰のことも100%信用できない状況で情報戦を行うには、組織設計が重要になる。スパイが入り込んでもあぶり出す組織設計、スパイが入り込んでも崩壊を防ぐ組織設計。工業設計でのフェイルセーフの考えが、組織設計にも必要になるのだろう。スパイの有無という文脈ではないが、このフェイルセーフの考えは、一般的な組織設計にも当てはまる。その観点で言うと私は、アメリカ合衆国の統治組織は大変すぐれたものだと思う。素早い意思決定と、権力暴走の抑制の両者を、これほど高い水準で備えた統治組織は、歴史上他に存在しない。これを実現したワシントン等の足跡は、機を見て深く研究したい。

まとめ

今回は、CIAに貢献したソ連のスパイ、トルカチェフを描いた最高機密エージェントを取り上げました。

次回はZBC#56で発表された鄧小平をご紹介します。

Zenport Book Club #55:その他の発表図書、関連図書

キム・フィルビー - かくも親密な裏切り

キム・フィルビー - かくも親密な裏切り

死神の報復(上):レーガンとゴルバチョフの軍拡競争

死神の報復(上):レーガンとゴルバチョフの軍拡競争

裏切られた革命 (岩波文庫)

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ZBC#54 [まだ夜が、暗闇だった頃] - 失われた夜の歴史

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課題図書

今回は2017年7月29日に開催されたZenport Book Club #54の図書の中から失われた夜の歴史をご紹介致します。

失われた夜の歴史

失われた夜の歴史

かつて産業革命が起こるまで、夜は暗闇が支配する世界でした。

そして夜は、光が支配する昼とは異なる文化を持つ場所でもありました。

同じ人間たちが形成する社会であるにもかかわらず、夜は、昼とは全く違う顔をもつ世界だったのです。

その夜とはどんな世界だったのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • 産業革命到来以前の西洋社会、その時代の夜は、独自の文化を持つ昼とは別の世界だった。社交性、労働、道徳的習慣などが、昼のそれとは大きく異なっていたのだ。

  • 夜は危険な場所であった。盗賊、追剥が跋扈し、外出や労働はほとんど困難であった。また夜は魔女や妖精が現れる時間だとも考えられていた。

  • 一方で、夜は解放の時でもあった。昼には出来ない秘密の会合や、放縦や陶酔が許される時間だった。

  • 当時、権力者にとって夜は自身の権威を高めるために必要なものだった。夜の闇が深く危険であるほど、昼を支配する神官や王族の権威は、より増すと考えられたからだ。

  • 夜が暗闇だった頃、睡眠の形式も現在と異なっていた。当時は、夜に一度起きてはまた寝る分割睡眠が常態だった。第1の眠りと第2の眠りの間に、彼らは祈り、朝ご飯の支度、また愛の情事などを行っていた。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

技術の発達が、人の時間の使い方を変えたという観点から見ると、夜の消失も一種の分業、革命と言って良いだろう。


夜の心理状態の関係性には大変興味がある。夜になると心理状態が危機回避の方に触れるのは自身の経験からも明らかだと思う。なぜ人間はそのように進化したのかについて、深く掘り下げたい。


夜という存在は、人間を含む生物全体の進化にも大きな影響を与えたことは、想像に難くない。夜がなければ、繁栄する種は異なったはずだ。そもそも、夜という存在がなければ、睡眠という行為もなかったかもしれない。この、生物と夜と睡眠の関係については、時間があればもう少し調べてみたい。

まとめ

今回は、暗闇だった頃の夜について綴った失われた夜の歴史を取り上げました。

次回はZBC#55で発表された最高機密エージェントをご紹介します。

Zenport Book Club #54:その他の発表図書、関連図書

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

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ZBC#53 [シュメールからシアトルまで] - 華麗なる交易

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課題図書

今回は2017年7月22日に開催されたZenport Book Club #53の図書の中から華麗なる交易をご紹介致します。

華麗なる交易 ― 貿易は世界をどう変えたか

華麗なる交易 ― 貿易は世界をどう変えたか

国富論を著した経済学の巨人、アダム・スミスは、次のような言葉を残したそうです。

「人間には、ある物を別の物と取り換え、引き換え、やりとりする方向が、本質的に備わっている。この喜ばしい傾向は、まさに人間の本性なのだ。」

即ち彼は、交易とは人間の本質的な行動であると説いているのです。

ではこの交易は、これまで人類の歴史に、どのような影響を及ぼしてきたのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • 世界貿易の起源、それは紀元前3,000年頃のシュメール地方(現在のイラク周辺)にまで遡る。この土地で貿易が起こった理由、それは肥沃な三日月地帯と呼ばれたこの場所が、豊富な穀倉地帯だったからである。この貿易圏は後に、西はロンドン、東は長安まで拡大していった。しかしローマ帝国が滅び、情勢が不安定になると、域内の商業活動は一気に縮小した。

  • 貿易は続いて7世紀にインド洋周辺で大きく発展した。きっかけは、預言者ムハンマド、また彼が開いたイスラム教であった。商業の宗教であるイスラム教が糊の役目を果たす形で、インド洋周辺のいくつもの大規模な商業港が一体となって貿易圏を形成していったのだ。その影響は西はアンダルシアから東はフィリピンまで及んだ。また特筆すべき点として、この交易にヨーロッパ人は無関係であった。この状況は15世紀まで続く。即ち、彼らは実に800年程、世界の貿易の中心から締め出されていたのだ。

  • このイスラム教を中心とした貿易システムは1497年に崩壊する。きっかけはヴァスコ・ダ・ガマのインド到達であった。彼が喜望峰を周る通商航路を開拓したことで、ヨーロッパ人はインド洋周辺に進出し始めた。その後、ヨーロッパ人はインド洋周辺に交易体制を確立する。ここに、欧州による現代まで続く商業的支配が幕を開けたのである。

  • 交易の発達に関係する要素として、政治的安定性がある。人類史上、交易は帝国の繁栄に呼応して発展した。ローマ帝国イスラム帝国、元などの帝国が交易ルートの治安を整備することで、交易は発展してきた。

  • 交易発達への貢献としては、科学技術、家畜の存在も欠かせない。帆船・蒸気船の建設、羅針盤の発明、また貿易風の発見が商人の活動範囲を著しく拡大させた。またラクダの存在は、アジア-ヨーロッパ間の陸路での移動を可能にさせた。

  • 貿易の拡大はイデオロギーの対立も生み出した。すなわち自由貿易保護貿易の対立である。自由貿易の拡大によって、世界全体は豊かになってきた。しかしその過程では、必ず衰退産業が生まれ、多くの場合、衰退産業の従事者はときの為政者に圧力をかけ、保護貿易を叫んできた。これは現代に至るまで相変わらず続いている。即ち、シュメールからシアトルに至る貿易の長い旅を経てもなお、人類は進歩していないのである。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

現代における貿易の発展、これはパクス・アメリカーナによるところが多いだろう。アメリカが、かつての帝国と同じ情勢安定の役割を担うことにより、円滑な交易が実現できている。しかしながら現在、パクス・アメリカーナは衰退の兆しを見せている。これは1つの、交易の危機とも見てとれるだろう。


本書を読んでみてもそうだが、宗教、地理、気候、家畜、技術、資源等の複数のパラメータは相互に作用しあい、必然なる現在を作っていることが分かる。粗いモデル化にはなるが、複数のパラメータから時代を導く、謂わば時代方程式なるものが作れそうな気がする。出来次第、ブログにて披露したい。

まとめ

今回は、交易の歴史を綴った華麗なる交易を取り上げました。

次回はZBC#54で発表された失われた夜の歴史をご紹介します。

Zenport Book Club #53:その他の発表図書、関連図書

1493――世界を変えた大陸間の「交換」

1493――世界を変えた大陸間の「交換」

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

グローバリゼーション・パラドクス: 世界経済の未来を決める三つの道

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ZBC#52 [日本式外交のロールモデル] - 小村寿太郎

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課題図書

今回は2017年7月19日に開催されたZenport Book Club #52の図書の中から小村寿太郎をご紹介致します。

小村寿太郎 - 近代日本外交の体現者 (中公新書)

小村寿太郎 - 近代日本外交の体現者 (中公新書)

日本の外交力

戦後の日本しか知らない我々は、それに対し好意的な印象を持つことは難しいでしょう。

しかし、本書で取り上げられる小村寿太郎が、外交の一線で活躍した日清戦争からポーツマス条約締結に至るまでの期間は、日本の外交力は一流だったと言っても過言ではありません。

そんな彼の外交哲学とはどんなものだったのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • 小村寿太郎日向国飫肥藩の生まれ、非藩閥の出身であった。しかしながら、幼少からその能力を高く評価された彼は、大学南校進学(後の東京大学)、第一回文部省留学としてのハーバード大学への留学、外務省入省、果ては外務大臣就任という足跡を残していく。

  • 小村の外交官としての最大の成果は、日英同盟締結、並びにポーツマス条約の締結である。彼はその粘り強い精神力、類まれな勉強量に裏付けられた洞察力により、日本の国益に寄与する稀有の実績を多く残した。

  • 小村は、貪欲に国益を追求する外交官だった。彼は日本の国益を追求できる場面ではやや強引とも呼べる形で自説を押し通した。一方で彼は、国際協調を重視するバランス感に優れた外交官でもあった。それは日露緊張時の日英同盟の締結、日露戦争後に素早く結んだ日露協約などに垣間見ることができる。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

以前取り上げたニクソンの外交における強みが大局観だとすれば、小村の強みは、その粘り強さだと言って良い。ポーカーフェイスを貫き感情を出さす、相手が折れるまで粘る。シンプルなように見えて実は交渉に一番必要なことを、彼は外交の最前線で体現した。私はここに、日本人が目指すべき外交のロールモデルがあるように思える。


近代日本、少なくとも第二次日英同盟までの外交は一流であったと言っていい。パワーバランスを考慮し、自国の国益を貪欲に追求しつつも、引くところは引く。その動きは一流棋士棋譜のようでもある。

まとめ

今回は、近代日本外交の体現者、小村寿太郎の生涯を綴った小村寿太郎を取り上げました。

次回はZBC#53で発表された華麗なる交易をご紹介します。

Zenport Book Club #52:その他の発表図書、関連図書

新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)

新訂 蹇蹇録―日清戦争外交秘録 (岩波文庫)

桂太郎 - 外に帝国主義、内に立憲主義 (中公新書)

桂太郎 - 外に帝国主義、内に立憲主義 (中公新書)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

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ZBC#51 [アメリカの起源] - ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる

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課題図書

今回は2017年7月15日に開催されたZenport Book Club #51の図書の中からベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になるをご紹介致します。

ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる

ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる

ベンジャミン・フランクリン

アメリカ建国の父としてだけではなく、資本主義の父としても知られる彼は、これまで、実利的なアメリカ人の典型として捉えられていました。

しかし、本書の著者であるゴードン・S・ウッド教授は、彼は英国の形式的な階級制文化に憧れた人物であったと説きます。

そして、その憧れに裏切られたため、彼はアメリカ人になることを選んだのだと。

一体、彼がアメリカの象徴になるに至った背景とは、どのようなものだったのでしょうか?

要旨を見ていきましょう。

要旨

  • ベンジャミン・フランクリンはイギリス領北米植民地に生まれ、身分の低い印刷職人として人生をスタートさせた。本事業で身を立てた彼は、資産家として財を蓄えた後、イギリス内で紳士階級に登り詰めることに成功する。

  • フランクリンは人生の多くの時間を、ヨーロッパ、主にイギリス本土やフランスで過ごした。その期間、多くのヨーロッパの知識人と交流した。彼はその知性、人柄によって、ヨーロッパにおいて絶大な人気を得た。

  • 彼は当所、イギリスの階級制に憧れを抱いていた。また王政派でもあった。しかし、アメリカ独立紛争時に英国議会と意見の対立を見たことにより、彼はアメリカ支持に転向した。後に、彼はアメリカ独立を強く後押しすることとなる。

  • 彼は一般に、自由と機会の国アメリカの象徴として扱われることが多い。しかし彼の実像は、イギリス的な階級社会君主制に憧れながら、それに拒絶され、アメリカ人となることを選んだ人間だった。

参加者の見解

本書に対し参加者からは次のような意見が出されました

先日、うめ先生という漫画家の方が、ストーリーは「AはBのためCをしたが、目標は達せず、かわりにDを手に入れる」という構成にすると読者の心をつかみやすい、と仰っていた。ベンジャミン・フランクリンの人生は、まさにこのストーリーに沿っていることがわかる。これが、彼が今でも広く支持される理由なのだろう。


建国のダイナミズム、そしてそれに携わるリーダーの生き様は、後世の人を惹きつけて止まない。アジアに限ってみても、大久保利通、鄧小平、リー・クアンユー等の歩みは、後世から振り返るだけでも興奮するものだ。また一方で思うことは、建国の際に、国益を最優先できるリーダーを抱けることは、国家として無上の幸いだということである。自分の私腹を肥やすリーダーがトップに上り詰め、国家が貧する事態は、歴史上に散見される。この「公を考えるリーダーの生み方」についての考察は、引き続き行っていきたい。

まとめ

今回は、アメリカ建国の父の素顔を著したベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になるを取り上げました。

次回はZBC#52で発表された小村寿太郎をご紹介します。

Zenport Book Club #51:その他の発表図書、関連図書

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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